強盗殺人事件の裁判員裁判の裁判員になったことで急性ストレス障害(ASD)と診断された元福祉施設職員、青木日富美(ひふみ)さん(64)=福島県郡山市=が、裁判員制度は苦役などを禁じる憲法に違反するとして国家賠償法に基づき200万円の賠償を国に求めた訴訟の判決が30日、福島地裁であった。2009年5月に始まった裁判員制度の是非を裁判員経験が問う初の訴訟だったが、潮見直之裁判長は制度を合憲とした3年前の最高裁判決などを理由に請求を棄却した。
青木さんは福島県会津美里町で12年7月に起きた強盗殺人事件の裁判員裁判で、裁判員に選ばれた。審理で被害者の遺体の刺し傷24カ所すべてのカラー写真や、被害者の断末魔の叫びを録音したテープなどが示され、青木さんは死刑判決直後の昨年3月にASDと診断された。「こんな苦しみは私で終わりにしたい」と昨年5月に仙台地裁に提訴。その後、福島地裁に移管された。
訴訟で青木さん側は、裁判員に指名された際に送付された説明書に「なりたくない、という辞退項目はなかった」と制度の強制性を指摘。苦役からの自由を保障した憲法18条▽個人の尊厳を定めた同13条▽職業選択の自由を認めた同22条−−に反すると主張した。
これに対し国側は、覚醒剤密輸事件の裁判員裁判の1審で有罪になった被告が「制度は、下級裁判所の裁判官は内閣で任命するとした憲法80条1項と矛盾する」などと主張した上告審で、
憲法18条なども含めて「制度は合憲」と判断した11年11月の最高裁大法廷判決を根拠に、棄却を求めていた。
訴訟では、青木さん側がASDになった際の裁判所や検察側の配慮不足については制度が原因として問題視しなかったため、争点は、制度の合憲性や、憲法80条以外の条文についても判断した最高裁判例の拘束力の有無などに絞られていた。
【栗田慎一、宮崎稔樹】
◇国民の義務によって障害発症の事実は重い
行政、司法、立法の三権が積極的に導入した裁判員制度について、福島地裁は30日、改めて「合憲」と認定した。「制度は合憲」との最高裁判例に沿った司法判断といえる。だが、国民の義務により一般市民がストレス障害を発症したという事実は重い。関係者は制度の改革を急ぐべきだ。
http://mainichi.jp/select/news/20140930k0000e040187000c.html
毎日新聞 2014年09月30日 11時48分
♦「裁判員制度は合憲」という最高裁判決
これは2011年11月16日最高裁判決によって明らかである。
最高裁の判断は以下の通り
1 憲法は,刑事裁判における国民の司法参加を許容しており,憲法の定める適正な刑事裁判を実現するための諸原則が確保されている限り,その内容を立法政策に委ねている。
2 裁判員制度は,憲法31条,32条,37条1項,76条1項,80条1項に違反しない。
3 裁判員制度は,憲法76条3項に違反しない。
4 裁判員制度は,憲法76条2項に違反しない。
5 裁判員の職務等は,憲法18条後段が禁ずる「苦役」に当たらない。
裁判員制度裁判 最高裁の判決要旨
- 2011/11/16 20:47
■国民の司法参加
憲法に国民の司法参加を認める規定がないことは、被告側の指摘通りだ。しかし、明文規定がないことが、直ちに国民の司法参加の禁止を意味するものではない。刑事裁判に国民の司法参加が許されているか否かという問題は、憲法が採用する統治の基本原理や刑事裁判の諸原則、憲法制定の経緯などを総合的に検討して判断されるべきだ。
刑事裁判は人の生命すら奪うことのある強大な国権の行使だ。憲法では適正な刑事裁判を実現するための諸原則を定めており、そのほとんどは、各国の刑事裁判の歴史を通じて確立されてきた普遍的な原理だ。
刑事裁判では、これらの諸原則が厳格に守られなければならず、それには高度の法的専門性が要求される。憲法が三権分立の下に、裁判官の職権行使の独立と身分保障を規定していることから、憲法は刑事裁判の基本的な担い手に裁判官を想定していると考えられる。
刑事裁判に国民が参加して民主的基盤の強化を図ることと、憲法の定める人権の保障を全うしつつ、適正な刑事裁判を実現することとは相いれないものではない。
国民の司法参加と適正な刑事裁判実現のための諸原則とは、十分調和させることが可能だ。
憲法上国民の司法参加が禁じられていると解すべき理由はなく、国民の司法参加に関係する制度の合憲性は、具体的に設けられた制度が、適正な刑事裁判を実現するための諸原則に抵触するかどうかで決まるものだ。
■制度の憲法適合性
憲法は、下級裁判所について国民の司法参加を禁じているとはいえず、裁判官と国民とで構成する裁判体が、被告側主張のように憲法上の「裁判所」に当たらない、ということはできない。
裁判員法では、裁判体は裁判官と裁判員で構成される。裁判員はくじなど公平性、中立性を確保できるよう配慮された手続きで選任され、評議での自由な意見表明を保障するための守秘義務を負う。法令解釈の判断などは裁判官に委ねられ、裁判員の権限は、審理に臨み、評議で事実認定、法令の適用及び有罪の場合の刑の量刑について意見を述べ、評決を行うことだ。
裁判員の関与する判断は、必ずしも法律的な知識、経験を持つことが不可欠とはいえない。裁判員がさまざまな視点や感覚を反映させつつ、裁判官との協議を通じて良識ある結論に達することは十分期待できる。
公平な「裁判所」での適正な裁判が十分保障され、憲法が定める刑事裁判の諸原則を確保する上での支障はない。従って、裁判員制度は、憲法の各規定に違反しない。
被告側は、裁判官が裁判員の判断に影響、拘束される裁判員制度は、裁判官の職権行使の独立を保障した憲法76条違反と主張するが、裁判官が自分の意見と異なる結論に従わざるを得ない場合があっても、憲法に適合する法律に拘束される結果で、憲法違反ではない。
多数決で結論を出す制度では、裁判が国民の感覚的な判断に支配され、裁判官のみの結論と異なる恐れがあると主張するが、国民が参加した場合でも、裁判官の多数意見と同じ結論にしなければならないなら、国民の司法参加を認める意義の重要部分が失われる。
評議では裁判長が十分な説明を行い、評決は多数意見の中に少なくとも1人の裁判官が加わっていることが必要とされるなど、被告人の権利保護の配慮もされており、裁判員制度による裁判体が憲法上許されないものだとはいえない。
裁判員制度による裁判体は地裁に属し、判決に対しては控訴、上告が認められており、特別裁判所に当たらないことは明らかだ。
被告側は、裁判員制度が国民に憲法上の根拠のない負担を課すものだから、意に反する苦役に服させることを禁じた憲法18条違反と主張する。
国民の一定負担は否定できないが、裁判員の職務は、司法権の行使に対する国民の参加という点で参政権と同様の権限を国民に付与するものだ。辞退に関し柔軟な制度や日当の支給なども設けており「苦役」に当たらないことは明らかだ。
裁判員制度が導入されるまで、わが国の刑事裁判は、裁判官をはじめとする法曹のみに担われ、高度に専門化した運用が行われてきた。司法の役割の実現には、法に関する高度の専門性が必須だが、それは、時に国民の理解を困難にし、その感覚から乖離(かいり)したものにもなりかねない側面を持つ。
裁判員制度は、国民の視点や感覚と法曹の専門性とが常に交流することで、相互の理解を深め、それぞれの長所が生かされるような刑事裁判の実現を目指すものだ。目的の達成には相当の期間を必要とするが、長期的な視点に立った努力の積み重ねで、わが国の実情に最も適した国民の司法参加の制度を実現していくことができると考える。
裁判官全員一致の意見。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1603Y_W1A111C1000000/
-裁判員制度は憲法18条後段のいう「苦役」ではない。(判決文より抜粋)-
裁判員の職務等は,司法権の行使に対する国民の参加という点で参政権と同様の権限を国民に付与するものであり,これを
「苦役」ということは必ずしも適切ではない。また,裁判員法16条は,国民の負担を過重にしないという観点から,裁判員となることを辞退できる者を類型的に規定し,さらに同条8号及び同号に基づく政令においては,
個々人の事情を踏まえて,裁判員の職務等を行うことにより自己又は第三者に身体上,精神上又は経済上の重大な不利益が生ずると認めるに足りる相当な理由がある場合には辞退を認めるなど辞退に関し柔軟な制度を設けている。加えて,出頭した裁判員又は裁判員候補者に対する旅費,日当等の支給により負担を軽減するための経済的措置が講じられている。(11条,29条2項)
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